川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

コスモス 92 アントニヌス

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。帰ってシャワーを浴びて体重を測ったら52.0kgと、先週より0.3kg増えました。51kg代になったので大分食べたつもりでしたが、意外と増えませんでした。

「世界史1200人」92 アントニヌス・ピウス(86〜161)

4人目の五賢帝。帝位継承から真っ先に行ったのは、先帝ハドリアヌスを歴代皇帝と同じく神に祭る事であり、懸命に元老院を説得し説き伏せた。この行動は主君に対するピエタス(献身)であると賞賛され、元老院は彼に「ピウス(慈悲深き)」の称号を与えた。23年間という長期間の治世に、大規模な公共建築も残さなかったが、代わりに帝国の法体系や行政制度の改革に熱意を注いだ。帝国がラテン人を祖とする国家としてだけでなく、もっと多様な人々を糾合する多文化・多民族の国家に転身する必要を強く感じ、市民権や奴隷制に関する大胆な改革を志した。法改革によって、奴隷の狭き門であった解放への道が大きく開かれた。また衛兵によって拘束された人間をまず罪人である事を前提に扱う慣習を廃止し、取調べにおける拷問の使用も、14歳以下の市民権保持者に対しては原則違法とした。さらに、健全な財政、貧困層の救済、学者の優遇、キリスト教迫害の禁止など「ローマの平和」の絶頂を築いた。

「コスモスに託した夢よ時を越え アントニヌス に 端遊」

コスモスが9月の季語です。白や淡紅色の美しい花ですが、「自身のうちに秩序と調和を持つ宇宙」の英訳を、アントニヌスの政策に掛けました。一方で彼は、軍とは一貫して距離を置いた事で知られています。20年以上に亘る治世で大規模な軍事遠征が行われた記録は一切残っておらず、軍に対する命令や記録も僅かです。現代における古代ローマ史の研究誌は「23年の治世においてアントニヌス帝は軍団に対して命令や指揮はおろか、根拠地の500マイル以内に近付いた経験すらなかった」と評しています。

習字は、「コスモスに」はスッキリと、「託した夢よ」は大胆に、「時を超え」はサラリと、というつもりで書きました。


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