川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

長き夜 93 アウレリウス

 土曜日・日曜日をかけて、Google・Cloudにお面や歌をアップロードしました。CDが劣化していて、お面の写真を撮り直したり、唄は一部再録が必要と分かりました。とにかく、過去・現在の活動を携帯で簡単に紹介できるようになり、何だか嬉しくなりました。

「世界史1200人」93 マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121〜180)

才気煥発で、11歳でストア派哲学者として知られた。即位してすぐに帝国初期の路線に沿って、貧民階級の子供に対する慈善政策を進めた。アウレリウスはその質素な生活と、貴族的でない謙虚な振る舞いから民衆の人気を集めていた。言論の自由は保障され、喜劇作家が皇帝を揶揄する文言を発表しても決して罰せられなかった。それ以前の皇帝達はもちろん、以後の皇帝達でもこうした事を許す場合は少なかった。アウレリウスは確かに「庶民的な皇帝」として大衆に人気があったが、辺境で異民族の侵入や動乱が増えたため、パルティア戦争、マルコマンニ戦争と治世の大部分を陣営で過ごした。ローマ軍最高司令官として敵の侵入や各地の反乱そして部下の離反など、日々苦悩の連続であり、なんとか解決策を見出そうと自問自答する日々を、名著「自省録」に記録した。

「哲学者自省だらけの長き夜 アウレリウス に 端遊」

長き夜が9月の季語です。陣営で長い夜に自問自答したアウレリウスが浮かびます。彼は30年間の結婚生活で14人の子息を儲けました。女児は一人を除いて成人しましたが、男児は六男コンモドゥスのみが生き残り帝位を継承しました。当初は清廉な青年であったコンモドゥスが、次第にローマ史の著名な暴君の一人となります。アウレリウスは墓に入っても反省です。

習字は、「哲学者」はスッキリと、「自省だらけの」はそんな感じで、「長き夜」はデザイン的に、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20210927095546j:image