川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

草の花 95 セウェルス

 朝、隣町に行こうとバイクを出したら、雨が降っていました。もう一度様子を見ましたが、止みそうもないので休みとして、メールを出しました。携帯を持っていない友には、固定電話に掛けたのですが、出ないので奥さんにメールしました。大丈夫かなと思っていたら、他のラン友から連絡ついたとのことで安心しました。

「世界史1200人」95 セプティミウス・セウェルス(146〜211)

北アフリカの騎士の家系出身だが、軍隊により皇帝に推され、セウェルス朝を創始した。セウェルスはアウレリウス帝とコンモドゥス帝の親子二代に仕え、ローマの貴族階級における典型的な経歴を歩んだ。五皇帝の年(一般には193年に5人の皇帝が擁立されたことで五皇帝の年と呼ばれる)で頭角を現して有力な皇帝候補となり、ペルティナクス帝の死後に実権を掌握した。彼は存命中の皇帝を失脚させて自らが皇帝に即位した。皇帝となった後、二人の僭称帝との戦いを打ち破り、またオスロエネ王国に対する外征にも勝利して、ローマ領を東方へ拡大した。体制を固めたセウェルスはより大胆な外征を計画し、大勝を得てティグリス川沿いまで領土を拡張した。同時に東方属州の拡大と強化に熱意を注いだ。故郷の属州アフリカでも外征を行い、領土を南の砂漠地帯にまで広げた。治世後半も戦いに明け暮れる日々を過ごした。セウェルスの死もそうした戦いの最中で起き、ブリタニア遠征中にエボラクムで病没した。

「戦って戦い抜いて草の花 セウェルス に端遊」

草の花が9月の季語です。遠征地で病没した彼の周りには草の花が囲んでいたのでは、とイメージしました。211年、危篤に陥ったセウェルスは二人の息子達に「共に仲良くせよ。軍を富ませよ。他は無視せよ」と言い遺し、病没後は直ちに神として神殿に祭られた。後に兄のカラカラは弟のゲタを殺害しました。

習字は、「戦って」はスッキリと、「戦い抜いて」は途切れないように、「草の花」はしっとりと、というつもりで書きました。


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