川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

猿酒 102 ディオクレティアヌス

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。シャワーを浴びて体重を測ったら51.2kgと先週より2kg減っていました。それから嫁さんの歯の治療に合わせて、11月4日・5日と石垣に行くことにしました。久しぶりに飛行機の予約などをしました。

「世界史1200人」102 ディオクレティアヌス(244〜313)

一兵卒から出世し、軍に推戴されて皇帝に即位した。帝国の安定化に努め「3世紀の危機」と呼ばれる軍人皇帝時代を収拾した。その過程で「専制君主政」を創始し、自分を入れた正帝2人と副帝2人で、四分統治を始めた。ディオクレティアヌスは民衆が国への帰属心を失いつつあることを危惧し、皇帝権力の強化と愛国心の定着を図るため、皇帝崇拝とローマの神々を礼拝することも義務づけた。当初は、ローマの神々を礼拝すればキリスト教の信仰を保ってもよいとする政策を行った。しかしキリスト教徒は皇帝崇拝とローマの神々の礼拝を無視し、キリスト教徒の兵士が軍から離脱するなど、反逆行為が多発したこともあり、303年にローマ全土に対して、キリスト教禁止の勅令を発した。教徒への抑圧が全土でかつてない規模で行われたため、キリスト教側からは「最後の大迫害」と呼ばれている。このため、「ローマ帝国衰亡史」において再評価されるまでは長年に渡って暴君としかみなされなかった。

「基督め猿酒飲んで寝て待つか ディオクレティアヌス に 端遊」

猿酒が10月の季語です。猿が集めた木の実が、雨露によって発酵した酒です。約1500年もの間、暴君とされたディオクレティアヌスは、猿酒でも飲んで待つしか無かったのでは、と思いました。305年、彼は健康を崩したこともあって退位し、アドリア海に臨むサロナ近郊に宮殿を作って隠棲し、311年に崩御しました。古代のローマ皇帝の中で、退位した例は彼の他にはほとんどありません。ただし、ローマ帝国キリスト教化されて以降は、退位して修道院へという例が多くなります。

習字は、全体に酔った感じて、「基督め」は怒って、「猿酒飲んで」は絡んで、「寝て待つか」は眠くなって、というつもりで書きました。白場を多くしたら字がおとなしくなってしまいました。


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