川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

鉢叩 126 洗礼者ヨハネ

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。軽快に走りたいのですが、いつの間にか必死でした。年寄りの冷や水です・・・

「世界史1200人」126 洗礼者ヨハネ(前30頃)

新約聖書」に登場する1世紀頃の預言者聖母マリアの従兄弟の子とされる。「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物とする人物」とされ、ヨルダン川河畔の荒野で、神の国が近づいたことを人びとに伝え、悔い改めるよう迫り、罪の赦しに至る洗礼を授け、イエスにも授けた。洗礼は当時、異邦人の汚れの清めを象徴するものとされていた。しかし、ヨハネユダヤ人でさえも罪の汚れによって神の民と呼ばれる権利を失ってしまっていると考えた。ヨハネが求めた「悔い改め」とは道徳的な改心ではなく、文字通りの「回心」であった。ヨハネは、当時のユダヤ教の主流派が、律法を守ってきたことを誇り、律法を守らない人びと、あるいは貧困などによって守りたくても守ることのできない人びとを、穢らわしいものとして差別し蔑む、その心のありようを罪と考えた。

「真似ならば猿でも出来る鉢叩 洗礼者ヨハネ に 端遊」

鉢叩(ハチタタキ)が11月の季語です。本来は空也堂の僧たちが、鉦を叩き念仏和讃を唱えて、洛中・洛外を巡ることです。「心のありよう」を罪としたヨハネの考えをパロディー化しました。ヨハネは当時の領主ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したため捕らえられました。そして、ある少女が、祝宴での舞踏の褒美として彼の首をヘロデ王に求めたため、処刑されたとする記述が各福音書に見られます。

習字は、「真似ならば」は見得を切るように、「猿でも出来る」は鼻で笑うように、「鉢叩」は猿が叩くように、というつもりで書きました。


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