川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

年を越す 145 アタナシウス

 朝、隣町に行き、一人で風車周りコースを走って来ました。ロングコース3日目にしては軽く走れました。帰ると、嫁さんが小学校に習字を教えに行きました。

「世界史1200人」145 アタナシウス(295〜373)

出生地ははっきりしていないが、ナイル河畔の原住民の言葉であるコプト語を話した。ギリシアやローマの洗練された文化に精通している様子もなかった。若い頃には砂漠の修道士たちと親しく交わり、厳格な修練を学び、厳しくそれを守った。若年の助祭長であったアタナシウスは、イエスと神は同じであり、同一の存在であると唱えるようになる。他方、長老アリウスをはじめとする人々は、イエスは神に創造されたものであり、御父に従属するという聖書見解を守った。西暦325年、こうした論争を解決するための教会会議がローマ皇帝コンスタンティヌスの命の下に、小アジアのニケーアに召集された。異教徒であったコンスタンティヌスはこの会議において、アタナシウスの側を支持した。その結果、聖書に忠実に従おうとしたアリウスの述べた見解は異端と宣言された。

「棚牡丹の命(メイ)!悠久の年を越す アタナシウス に 端遊」

年を越すが12月の季語です。僕には皇帝の命は、棚牡丹(タナボタ)の命に感じられます。しかもこれが三位一体論として、現代にも生きています。なお棚牡丹(タナボタ)は「棚から牡丹餅」の略で、思いがけない幸運のことです。アタナシウスがアリウス派を反駁した論点は、唯一神信仰と救済論に要約されます。「アリウス派は、多神教に行き着くため、唯一神信仰に反し、救いが被造物によって実現することになるため、神のみによる人々の救済に反する」としています。

習字は、「棚牡丹の」はボタっと、「命!悠久の」は明るく軽薄に、「年を越す」はサラリと、というつもりで書きました。


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