川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

ボーナス 161 平清盛

 昨日、電子新聞を朝日のベーシック版から毎日のスタンダード版に変えました。こんなに情報量の多いんだとビックリして、一日中見ていました。今日の朝は、一人で海沿いのコースを走って来ました。

日本史2章の「鎌倉・南北町・室町時代」に入ります。


「日本史1200人」161 平清盛(1118〜1181)

武士で初めて上級貴族の太政大臣に就き、日宋貿易を盛んにする。台頭のきっかけは1156年の保元の乱であった。皇位継承をめぐって崇徳上皇後白河天皇が争うと、源義朝と共に後白河天皇側について勝利した。その後、1159年の平治の乱では、後白河上皇を幽閉した藤原信頼源義朝を破り、権力を不動のものとした。1171年には娘の徳子を高倉天皇中宮とし、生まれた子を3歳で安徳天皇として即位させ、以後一族を高位高官につけ、独裁政治を始めた。清盛は日宋貿易を積極的に進め、巨大な富を得るに至った。やがて、おごる平家を転覆しようとする勢力が各地に現れ、後白河法皇の幽閉をきっかけに源義朝源義仲が挙兵する中、1181年に清盛は高熱に倒れ死去した。「葬儀は不要、死後は頼朝の首を供えよ」が遺言だった。

「大臣は保元平治のボーナスじゃ 平清盛 に 端遊」

ボーナスが12月の季語です。武士で初めての大臣ですから、大ボーナスです。当時、日宋貿易が行われていたが、清盛はこれを積極的に進め、日本最初の人口港を博多に築くなどして巨大な富を得るに至った。輸入された宋銭が流通することによって、それまで絹を財政の基準としてきた日本の経済が大きく転換した。

習字は、「大臣は」は鼻高のように、「保元平治の」はスッキリと、「ボーナスじゃ」は嬉しく、というつもりで書きました。


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