川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

注連(シメ)飾る 162 高望王

パソコンが寿命で壊れそうなので、昨日は年賀状を大急ぎで作成しました。プリンターまで上手く作動せずハラハラでしたが何とか出来ました。今日も、一人で海沿いを走ってきましたが、帰った後には、雨が降り続いています。

「日本史1200人」162 高望王(?〜911)

桓武天皇の曾孫。889年、宇多天皇の勅命により平朝臣を賜わり臣籍降下平高望を名乗り、翌年に上総介に任官した。当時の上級国司は任地に赴かないことも少なくなかったが、長男・次男・三男を伴って任地に赴いた。任期が過ぎても帰京せず、子らが在地勢力の娘と結婚するなどして関係を深め、未墾地を開発して生産者となり勢力を拡大し、その権利を守るべく武士団を形成して、桓武平氏の発展の基盤を固めた。千葉・上総・三浦・土肥・秩父・大庭・梶原・長尾が坂東八平氏と称された。

「武士の子ぞ産めよ殖やせよ注連(シメ)飾る 高望王 に 端遊」

注連飾るが12月の季語です。年末に門に飾りますが、注連は本来は土地の領有を示すために張る縄です。高望王は902年に西海道国司となり大宰府に居住し、911年に同地で没しました。なお、この間の903年には、昌泰の変により失脚した菅原道真も同地で亡くなっています。

習字は、「武士の子ぞ」は強く、「産めよ殖やせよ」はそれらしく、「注連飾る」はスッキリと、というつもりで書きました。


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