川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

熱燗 165 平教盛

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。昨夜、本に夢中になり夜ふかしした割には、快適に走れました。シャワーを浴びて体重を測ると52.8kgと先週より0.6kg減っていました。チョコパイを毎日食べている分、少し夕食を意識しました。

「日本史1200人」165 平教盛(1128〜1185)

忠盛の子。保元・平治の乱では異母兄の清盛を助けて戦う。邸宅が六波羅の総門にあったことから門脇殿と通称された。1177年に鹿ケ谷の陰謀事件が発覚したが、首謀者の藤原成親の嫡男の成経は教盛の娘婿だった。娘は身重でもあり、困り果てた教盛は清盛の元へ参り寛大な処置を願ったが、断罪が命じられた。教盛は出家して隠遁するとまで言いだし、それならばとようやく成経の身柄を教盛に預けることを許した。関係者の処罰が決まり、成経は薩摩国鬼界ヶ島へ流されることになった。娘婿のことを哀れに思う教盛は大赦を願い出て許された。

「熱燗じゃ頭痛の種よ娘婿 平教盛 に 端遊」

熱燗が12月の季語です。困り果てた教盛は先ず熱燗を一杯ひっかけて・・・と句にしました。一ノ谷の戦いで平家は惨敗し、嫡男の通盛をはじめ、子の教経、業盛らが討ち死にしました。子たちを失った教盛の身辺は心細いものになりました。その後、屋島の戦いに敗れ、壇ノ浦の戦いで力尽きて敗北し、教盛は兄の経盛とともに兄弟手を取りあって海に沈みました。

習字は、「熱燗じゃ」は強く、「頭痛の種よ」は弱く、「娘婿」は大胆に、というつもりで書きました。


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