川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

年送る 167 敦盛

 昨夜は嫁さんとカラオケをやったりして少し遅く寝たせいか、朝は1時間遅れて起きました。海沿いの道は向かい風は強く、ランは途中までかなと思いましたが、何とか走り切りました。

「日本史1200人」167 平敦盛(1169〜1184)

経盛の子、清盛の甥。「無官の大夫」といわれた笛の名手である。一ノ谷の戦い熊谷直実に討たれる。直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子・直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する。直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙ながらに敦盛の首を切った。これをきっかけに直実は出家したという。この「平家物語」の名場面は、のちに能「敦盛」、幸若舞「敦盛」、文楽/歌舞伎「一谷嫩軍記」などの題材となった。

「御名前と笛は千年年送る 敦盛 に 端遊」

年送るが12月の季語です。織田信長の好んだ歌「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか 」は幸若舞「敦盛」の一節です。

唱歌「青葉の笛」の一番は、敦盛の最期を歌って知られます。

「一の谷の 軍(いくさ)破れ 討たれし平家の 公達あわれ

  暁寒き 須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛」

習字は、「御名前と」は太く、「笛は千年」は細く、「年送る」は丸く、というつもりで書きました。


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