川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

氷下魚(コマイ) 168 平時子

 昨夜、ほんの少しカビが生えたパンを食べたら、嫁さんも僕もお腹を壊しました。で朝、ランをしたらすごく疲れました。嫁さんは習字を教えに小学校に行きました。

「日本史1200人」168 平時子(1126〜1185)

清盛の正室で、宗盛・重衡・徳子らの母。徳子が高倉天皇に入内すると、中宮の母として徳子の出産に関わったほか、高倉帝の諸皇子女の出生や成長儀式にも深くかかわり、清盛一門と皇室との関係を結ぶ役割も果たした。清盛亡き後は、仏門に入り二位の尼と称し、平氏の精神的な支柱となった。壇ノ浦の戦いで一門が源氏軍に最終的な敗北を喫すと、安徳帝に「浪の下にも都の候ぞ(平家物語)」と言い聞かせ、幼帝を抱いて海中に入水した。山口県長門市日置には、亡骸が打ち上げられたという伝承から、「二位ノ浜」と呼ばれる浜辺があり、海水浴場としても人気がある。

「竜宮にお慰めにと氷下魚(コマイ)たち 平時子 に 端遊」

氷下魚(コマイ)が12月の季語です。北海道にいる魚です。時子と幼帝をお慰めに北海道の氷下魚までが竜宮に行きました・・・後白河法皇にとって平氏安徳天皇を連れて逃げていったのは不幸中の幸いであり、次々と政治の主導権を確立しました。

習字は、「竜宮に」は大胆に、「お慰めにと」はサラリと、「氷下魚たち」は楽しく、というつもりで書きました。


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