川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

鰭酒 171 平宗盛

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。雲に覆われて暗く波も高い海ですが、ダイバー船が3艘ほど沖に見えました。嫁さんがミニ十二支を飾りました。毛氈を敷いたらそれなりになりました。

「日本史1200人」171 平宗盛(1147〜1185)

清盛の3男。重盛の死後は平家一門の最後の長者となる。清盛の死後は、折からの飢饉に悩まされて、北陸に送った源義仲追討軍も惨敗し、ついに都落ちとなって安徳天皇を擁し西海に逃れた。壇ノ浦の戦いに敗れて、知盛・経盛・教盛ら一門が入水する中、宗盛は死にきれずに泳ぎ回っていたところを息子の清宗とともに引き上げられ捕虜となり、鎌倉へ送られた。「愚管抄」では「宗盛は水泳が上手なため、浮き上がり浮き上がりする中に、生きたいと思うようになった」としている。頼朝と対面の後に京都に送り返される途中で斬首された。頼朝との対面ではひたすら出家と助命を求め、これが清盛の息子かと非難されている。

「プカプカと死ぬのは恐い鰭酒じゃ 平宗盛 に 端遊」

鰭酒が12月の季語です。フグの鰭を炙って熱燗に入れます。海から引き上げられた宗盛は、恐怖と寒さで鰭酒なしではいられなかったかな・・・宗盛は、安徳天皇の大嘗会御禊行幸の儀式で口取りが引く馬から二度も落馬するなど、武家の棟梁としてはあるまじき失態を見せている一方で、妻が出産で亡くなった時には官職を返上してその死を嘆き、その遺児を乳母に預けず自分の男手で育てるなど、妻子への情愛深い家庭人であったようです。

習字は、「プカプカと」は浮いてる、「死ぬのは恐い」はヒェ〜〜と、「鰭酒じゃ」はホッとした、というつもりで書きました。


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