川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

神楽 172 平知盛

朝、雨が降っていたのでバイクを漕ぎました。英語もランも半分の時間で済んだので、習字を早くから始めたのですが、明日の分を書いてしまい、今日の分を改めて気を入れ直して書きました。

「日本史1200人」172 平知盛(1152〜1185)

清盛の4男。清盛の「最愛の息子」として1180年に起きた以仁王の乱や近江・美濃源氏の反乱などの追討活動に戦績を残し、都落ちの後は長門(山口県)の彦島に水軍の根拠地を置いて平氏最後の砦とした。壇ノ浦の戦いでは、唐船に雑兵を、和船によき人を乗せるなど、源氏の目をあざむく策を用いたがついに敗北した。自害にあたり、知盛は碇を担いだとも、鎧を二枚着てそれを錘にし、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して入水したとも言われている。共に入水後遺体となるか、あるいは生きたまま浮かび上がって、晒し物になるなどの辱めを受けるのを避ける心得である。

「世に飽きて碇(イカリ)を担ぐ神楽かな 平知盛 に 端遊」

神楽が12月の季語です。神を祭り鎮魂を込めた無言劇です。入水のシーンはまさに平氏鎮魂のための無言劇です。知盛入水に想を得た文楽及び歌舞伎「義経千本桜」の「渡海屋」および「大物浦」は別名「碇知盛(いかりとももり)」とも呼ばれ、知盛が崖の上から碇と共に仰向けに飛込み入水する場面がクライマックスとなっています。

習字は、「世に飽きて」はサラリと、「碇を担ぐ」は強く、「神楽かな」は無言の歌舞、というつもりで書きました。


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