川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

牡丹鍋 173 平重衡

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。復路、虹が海からちょっとだけ立ち上がったと思ったら、だんだんと広がっていき、ゴール近くになると、海から海へ全部が繋がって見えました。満願成就!と思わず心の中で万歳をしました。

「日本史1200人」173 平重衡(1157〜1185)

平清盛の5男。文武兼備の人物で朝儀・公事をよく処理する一方、以仁王源頼政の挙兵を鎮圧し、興福寺東大寺攻撃の総大将となって大仏殿以下を焼き打ちした。一ノ谷の戦で捕虜となり鎌倉に護送された。源頼朝に厚遇されるが興福・東大両寺の衆徒の強い要求によって奈良に送られ、南都焼き打ちの張本人として木津川畔で斬首された。重衡はちょっとした事でも人のために心遣いをし、いつも冗談を言い、怖い話で女房を怖がらせたり、退屈していた高倉天皇をなぐさめるために、強盗のまねごとをして笑わせたりしたというエピソードが残されている。

「大仏の仕返し上手い!牡丹鍋 平重衡 に 端遊」

牡丹鍋が12月の季語です。猪鍋のことです。大仏殿などを焼き打ちした重衡を猪に掛けました。「上手い」は仏か鍋か・・・妻の輔子はうち捨てられていた重衡の遺骸を引き取り、南都大衆から首も貰い受けて荼毘に付し、日野に墓を建てました。現在、この墓は京都市伏見区団地の中に残っています。

習字は、「大仏の仕返し」は憎々しく、「上手い!」は無心に、「牡丹鍋」は温かそうに、というつもりで書きました。


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