川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

冬の海 175 安徳天皇

朝、バイクを漕いでからシャワーを浴びて、体重を測ると53.6kgと先週より0.5kg増えていました。来年も53kg前後ならいいな・・・それから、今日で退職するフェリーの船長を見送るために港に行きました。船が港を出るまで手を振りました。

「日本史1200人」175 安徳天皇(1178〜1185)

81代天皇高倉天皇の皇子。母は清盛の娘徳子。壇ノ浦の戦いの時、清盛の妻・時子(二位尼)に抱かれて入水した。安徳天皇は、「尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかける。二位尼は涙をおさえて「君は前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。この世は辛く厭わしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」と言い聞かせる。天皇は小さな手を合わせ、二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。歴代最年少の満6歳4か月で崩御した。

「ピカピカの一年生は冬の海 安徳天皇 に 端遊」

冬の海が12月の季語です。入水したのは三月ですから、良しとしました。安徳天皇入水の際、三種の神器のうち宝剣(草薙剣)を、朝廷側は回収に失敗しました。この喪失は、各方面に大きな衝撃をあたえ、神剣なしに即位した後鳥羽天皇は微妙な立場に置かれました。その後、後鳥羽~土御門天皇順徳天皇時に伊勢神宮から献上されたものを正式に宝剣としました。

習字は、「ピカピカの」は角と丸で、「一年生は」はスッキリと、「冬の海」は静かに、というつもりで書きました。


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一年間、川柳と習字を続けることが出来ました。季語を入れ、それを二度は使わないとしたルールは、僕には合っているようです。来年も宜しくお願いします。