川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

独楽 176 源義経

 朝、海沿いを走って来ました。気持ち良い走り始めでした。シャワーを浴びて習字をしていると、8年ほど前まで同じアパートに住んでいた友が挨拶に来てくれました。三人の子供たちは皆んな素敵に大きくなっていました。

「日本史1200人」176 源義経(1159〜1189)

源義朝の9男、幼名・牛若丸。2歳の時に父が平治の乱で敗死し、母の常盤御前平清盛の愛妾になることで命が助かり、京都の鞍馬寺に預けられた。16歳で寺を抜け、藤原秀衡を頼り平泉に行き、6年の後1180年に兄・頼朝の挙兵を聞くと、馳せ参じた。平氏を一ノ谷・屋島壇ノ浦の戦いで討ち破った。しかし、後白河法皇の側近になったことから、頼朝の怒りを買い鎌倉入りを許されなかった。法皇は頼朝追討の院宣を出し、一方で義経追討の院宣も出したことから、頼朝は義経討伐を決めた。義経藤原秀衡の元へ逃げ込んだが、秀衡が病没すると、頼朝の圧力を受けた藤原泰衡に攻められ、自害した。

「回れ独楽ブンと平氏を日本一 源義経 に 端遊」

独楽(コマ)が新年の季語です。頼朝・後白河法皇に回された義経を掛けました。独楽はやがて止まり、倒れます・・・では新年に相応しくないので、「日本一」にしました。義経は修業時代、陰陽師の娘と通じ、伝家の兵書「六韜(リクトウ)」を盗み出して読んだと伝えられます。その中の「虎韜(コトウ)」で学んだことが源平合戦に生かされたということから、成功の秘伝を「虎の巻」と言うようになったといわれます。

習字は、「回れ独楽」は曲線で、「ブンと平氏を」は強弱を付けて、「日本一」は強く、というつもりで書きました。


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