川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

獏枕 177 武蔵坊弁慶

 朝、雨のためランは途中から引き返してきました。今日は町の成人式ですが晴れ着が濡れたら大変かな・・・

「日本史1200人」177 武蔵坊弁慶(?〜1189)

源義経の家来。義経に忠義を尽くし「義経記」により伝説化された。衣川の戦いで義経に殉じたという。弁慶は熊野別当・弁心が、二位大納言の姫を強奪して生ませたとされ、鬼若と命名され比叡山に入れられるが、乱暴が過ぎて追い出され、自ら剃髪して武蔵坊弁慶と名乗る。やがて、弁慶は京で千本の太刀を奪おうと心に誓う。弁慶は道行く人を襲い999本まで集めたが、あと一本というところで、五条大橋で笛を吹きつつ通りすがる義経と出会う。弁慶は太刀をかけて挑みかかるが、欄干を飛び交う身軽な義経にかなわず返り討ちに遭い、以来義経の家来となった。

「獏枕(バクマクラ)どうだ牛若鬼若じゃ 武蔵坊弁慶 に 端遊」

獏枕(バクマクラ)が新年の季語です。獏は悪夢を食べます。で、良い夢では弁慶は牛若に勝ちます!「吾妻鏡」などによると、都落ちの後の義経比叡山の悪僧(僧兵)の俊章が奥州まで案内したとされます。また義経が京に還る意志を書いた手紙を持った千光房七郎など、義経を庇護した比叡山悪僧の所業が集められ、誇張されて武蔵坊弁慶の伝説が作られたとする説があります。

習字は、「獏枕」は丸めに控えめに、「どうだ牛若」は強弱を付けて、「鬼若じゃ」は大胆に、というつもりで書きました。右から書くと「牛若」の両側の字がソッポを向くので、左から書きました。


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