川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

千両 182 源経基

 朝、雨は朝で止む予報だったので、習字を終えてから走りに行くことにしたのですが、まだ止まず、風も強くなった来たので、バイクを漕ぐことにしました。

「日本史1200人」182 源経基(?〜961)

父は清和天皇の第6皇子貞純親王で、母は源能有の娘。清和源氏の祖であり、六孫王と名乗ったともいわれる。武蔵守に次ぐ地位(武蔵介)となり、赴任早々に検注 を実施すると、在地の豪族はこれを拒否したために、経基らは兵を繰り出して略奪を行った。この話を聞きつけた平将門が私兵を引き連れて訪れると、経基らは京に逃げ帰り、将門の謀反を誣告(ブコク)した。しかし将門らが「謀反は事実無根」との証明書を送ると、これが認められ、逆に経基は讒言の罪によって拘禁された。この後、将門が次々と国府を占領して「新皇」を僭称すると、経基は晴れて放免されるばかりか、従五位下に叙せられた。

「讒言は千両!晴れて従五位下 源経基 に 端遊」

千両が1月の季語です。庭木や鉢植えにされます。ダジャレです。その後、将門の反乱の平定に向かいますが既に追討されていました。さらに、藤原純友の乱の平定にも向かいますが、ここでも既に乱は鎮圧されていました。最終的には鎮守府将軍にまで上り詰めました。

習字は、「讒言は」はいやらしく、「千両!晴れて」は少し嫌味に、「従五位下」はとぼけて、というつもりで書きました。


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