川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

万両 183 源満仲

昨日は、この冬初めてストーブを使いました。朝、嵐のような風がやんだので、一人で海沿いを走って来ました。Tシャツ・短パンではなかなか温まりませんでした。

「日本史1200人」183 源満仲(913〜997)

経基の嫡男。安和の変で、源連らによる皇太子・廃太子の謀反があると密告して事件の端緒をつくった。この事件で左大臣源高明が失脚したが、満仲は高明の一派であり、裏切り密告したとの噂がある。満仲は密告の恩賞により正五位下に昇進した。藤原摂関家に仕えて、受領を歴任し鎮守府将軍に至る。莫大な富を得た満仲は他の武士からの嫉妬を受けたらしく、自邸を放火されるという事件が起きている。住吉大社に参籠した時の神託により、多田盆地に入部、所領として開拓すると共に、多くの郎党を養い武士団を形成した。多田源氏の祖で、多田満仲(ただ の みつなか、ただ の まんじゅう)とも呼ばれる。

「密告は万両!タダの正五位下 源満仲 に 端遊」

万両が1月の季語です。昨日の千両より実が大きくなります。またしてもダジャレです。「タダ」は多田と只(無料)を掛けました。987年、満仲は多田の郎党16人及び女房30余人と共に出家して満慶と称し、多田新発意(しんぼち)とよばれました。この出家について、藤原実資は「小右記」に「殺生放逸の者が菩薩心を起こして出家した」と記しています。また「今昔物語集」には満仲の末子で延暦寺の僧となっていた源賢が父の殺生を悲しみ、仏法を説き出家させたという説話があります。

習字は、「密告は」はいやらしく、「万両!」は大胆に、「タダの正五位下」は直線的に組合せて、というつもりで書きました。


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