川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

緋寒桜 184 源頼光

 朝、空は何とか持つかな・・・と思い、一人で海沿いを走って来ました。空は持たず後半は雨に濡れ、シャワー室に直行しました。

「日本史1200人」184 源頼光(948〜1021)

満仲の嫡男。多田の地を相続し、受領として蓄えた財により一条邸を持ち、たびたび藤原道長に多大な進物をして尽くした。道長の権勢の発展につれてその側近である頼光も武門の名将「朝家の守護」と呼ばれるようになり、同じく摂関家に仕え武勇に優れた弟の頼信と共に後の清和源氏の興隆の礎を築く。中世文学のなかでは、坂上田村麻呂藤原利仁藤原保昌とともに伝説的な武人4人組の1人と紹介された。丹波国大江山での酒呑童子討伐や土蜘蛛退治の説話でも知られる。

「名将は緋寒桜か現代(イマ)も咲き 源頼光 に 端遊」

緋寒桜が1月の季語です。雪の頃にも咲きます。頼光は現代でも子供たちのスターです。頼光は藤原摂関家の家司としての貴族的人物としても高く評価されています。990年の関白・兼家の葬儀に際して藤原道長の振る舞いに感心して、側近として従うようになったと伝えられます。

習字は、「名将は」はゆったりと、「緋寒桜か」はスッキリと、「現代も咲き」は軽やかに、というつもりで書きました。


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