川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春近し 186 源頼義

 昨日は隣町の友の家に行き、美味しいお酒を頂いてきました。で、今日はゆっくり起きました。島が雨の日が多くなっています。

「日本史1200人」186 源頼義(998〜1075)

源頼信の嫡男。父と共に平忠常の乱を平定した。鎮守府将軍となり、東国への勢力拡大を図った。清原氏の助けを得て、前九年の役で、子の義家と共に安倍氏を討った。前九年の役を描いた「陸奥話記」では「沈毅にして武略にまさり、最も将帥の器なり」「士を愛し施しを好む」とされている。将兵らは「かつて唐の太宗が自らの髭を焼いて、傷ついた将兵の膿を啜ったという話があるが、我らが将軍の気遣いもそれ以上ではないか」と言い合ったとされている。10有余年にわたって奥州で戦い抜いた頼義に対する朝廷の評価は頗る高く、伊予守という受領の筆頭格の地位を与えた戦後の恩賞を見てもそれは明らかである。

「春近し戦疲れに道後の湯 源頼義 に 端遊」

春近しが1月の季語です。春に勝利・終戦を掛けました。それから伊予と言えば道後温泉です。伊予守の任期を終えた後は出家し信海入道と号して余生を過ごし1075年に没しました。晩年はこれまでの戦いで命を落とした敵味方の為に「耳納堂」という寺堂を建立し、「滅罪生善」に励んだといいます。

習字は、「春近し」はサラリと、「戦疲れに」は疲れたように、「道後の湯」はゆったりと、というつもりで書きました。


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