川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

寒烏 188 源義親

 朝、一人で海沿いを走って来ました。この冬初めてウィンドヤッケを着ました。途中少し雨が降りましたが安心でした。

「日本史1200人」188 源義親(?〜1108)

義家の嫡男。剛勇で知られたが、対馬守に任じられて略奪を働き、隠岐国へ配流となる。しかし、隠岐から出雲に渡って、朝廷に対して反乱を起こしたため、平正盛によって追討された。そもそも義親が対馬守に任じられたのは、都に近い河内国を本拠地とし、東国を傘下にした河内源氏を、勝手の異なる西国の国司とすることで失敗を期待したものとされている。特に義親を朝廷に告発した大江匡房白河院の近臣であったことなどからも、院の謀略が伺える。

「配流とな!お偉方めと寒烏 源義親 に 端遊」

寒烏が1月の季語です。冬の枯れ木などにすがっている烏です。見知らぬ土地での義親を掛けました。鴉より烏が孤独感があるので使いました。剛勇で知られた義親が、それまでさしたる武功のなかった正盛に簡単に討たれたことは当時から疑問視されていました。義親生存の噂が流れ、義親と名のる人物が乱の20年以上後まで幾度となく現れており、それらは捕えられたり、殺されたりしました。

習字は、「配流とな!」は強く、「お偉方めと」は細く、「寒烏」は大胆にというつもりで書きました。


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