川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

寒の月 189 源為義

 朝、一人で海沿いを走って来ました。家に着いた途端に雨が降ってきました。熱いシャワーにホッとしました。

「日本史1200人」189 源為義(1096〜1156)

義親の4男。初期の頃は院と関係が深かったが、犯罪者の隠匿、他の同僚との軋轢を起こし、郎党も粗暴な振る舞いが目に付き、西海の海賊追討に際しては、鳥羽上皇は「為義を遣わさば、路次の国々自ずから滅亡か」として強く反対した。そこで、藤原摂関家に接近して勢力拡大を図った。保元の乱崇徳上皇方につき、後白河天皇方の嫡男・義朝、平清盛らと戦うが敗れ出家する。義朝は自らの戦功に代えて、為義と弟たちの助命に奔走するが許されず、義朝の手で斬首された。

「さあ斬れ!とヤクザな父や寒の月 源為義 に 端遊」

寒の月が1月の季語です。天も地も凍てつく寒さの月です。その寒さを死に掛けました。三文芝居の感じです。為義は中央での栄達には縁がありませんでしたが、経済的には河内源氏本拠地伝来の財産があり裕福でした。また子にも恵まれ、養子や猶子も多く存在しました。

習字は、「さあ斬れ!と」は強く、「ヤクザな父や」は大胆に、「寒の月」は寂しく、というつもりで書きました。


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