川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

寒猿 191 源為朝

 朝、一人で海沿いを走って来ました。帰ってシャワーを浴びてから役場に行き、町営住宅のための所得申告をして来ました。それから、隣集落の売店に行って、スマホ内のデータをプリントできるか聞いたら、コンビニのプリンターと違うこと、担当者がいないと使えないこと、が分かりました。

「日本史1200人」191 源為朝(1139〜1170)

源為義の8男。身長2mを超える巨体のうえ気性が荒く、また剛弓の使い手で、剛勇無双を謳われた。生まれつき乱暴者で父の為義に持てあまされ、九州に追放されたが手下を集めて暴れまわり、一帯を制覇して鎮西八郎を名乗る。保元の乱では父とともに崇徳上皇方に参加し、強弓と特製の太矢で大奮戦するが敗れ、伊豆大島へ流される。しかしそこでも国司に従わず、大暴れして伊豆諸島を事実上支配したことから、追討を受け自害した。

「寒猿や暴れ疲れて湯じゃ伊豆じゃ 源為朝 に 端遊」

寒猿(カンエン)が1月の季語です。「寒い≒嫌われた」「猿≒暴れ者」と為朝に掛けました。伊豆大島に流されてから10年後の永万元年(1165年)には鬼の子孫で大男ばかりが住む鬼ヶ島に渡り、島を蘆島と名づけ、大男をひとり連れ帰ったとのことで、為朝はこの島を加えた伊豆七島を支配しました。

習字は、「寒猿や」はグチャグチャに、「暴れ疲れて」は大胆に、「湯じゃ伊豆じゃ」はホッコリ、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20220124120300j:image