川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

凍蝶 194 源範頼

朝、いつもより1時間半遅く起きました。疲れが溜まったかな・・・それでも、英語とエクササイズをしてから海沿いを走って来ました。目の前にいっぱいの洗濯物が干してあります。 

「日本史1200人」194 源範頼(?〜1193)

源義朝の6男。頼朝の挙兵に応じ、義経と共に平氏の追討に参加して戦功を挙げた。頼朝に従順だったが、1193年に曾我兄弟の仇討ちが起こり、頼朝が討たれたとの誤報が入ると、嘆く政子に対して範頼は「後にはそれがしが控えておりまする」と述べた。この発言が頼朝に謀反の疑いを招いたとされるが、政子の虚言・陰謀とする説もある。範頼は忠誠を誓う起請文を頼朝に送るが、その状中で「源範頼」と源姓を名乗った事を過分として、疑いを確信した頼朝は範頼を伊豆国に流した。その後、誅殺されたという説もあるが、裏付ける史料が無いことや子孫が御家人として残っていることから異説もある。

「凍蝶よ姓(カバネ)の名乗り過分ぞよ 源範頼 に 端遊」

凍蝶(イテチョウ)が1月の季語です。じっと動かず、いつの間にか死んだりしています。何も言えない可哀想な範頼に掛けました。範頼は修禅寺では死なず、越前へ落ち延びてそこで生涯を終えた説や武蔵国の吉見観音に隠れ住んだという説などがあります。吉見観音周辺は現在、吉見町大字御所という地名であり、吉見御所と尊称された範頼にちなむと伝えられています。

習字は、「凍蝶よ」は瀕死のように、「姓(カバネ)の名乗り」は楽しいように、「過分ぞよ」は厳かに、というつもりで書きました。


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