川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

君子蘭 199 以仁王

 朝、一人で海沿いを走って来ました。予報では曇りでしたが、途中から雨に降られました。亜熱帯の雨は冷たくないので助かります。

「日本史1200人」199 以仁王(1151〜1180)

後白河法皇の皇子。高倉天皇との皇位争いに敗れた。後白河法皇が幽閉された後の1180年に、平氏追討の令旨を諸国に出した。しかし平氏に追われて、園城寺(滋賀県)から奈良に逃れる途中に討たれた。以仁王の挙兵は失敗に終わったが、源氏挙兵のきっかけとなった。なお朝廷は当初この令旨を偽物と考えていたが、後に事実の疑いが出てきたこと、加えて以仁王高倉天皇及び安徳天皇に替わって即位することを仄めかす内容が含まれていたことに強く反発した。後白河法皇にとって高倉天皇は治天の権威によって自らが選んだ後継者であったためである。このため、乱から16年が経過しても以仁王は「刑人」と呼称されて謀反人としての扱いを受けている。

「君子蘭歴史が語るそれは麿 以仁王 に 端遊」

君子蘭が2月の季語です。ヒガンバナ科の常緑多年草で、朱色の花が太刀のような深緑の葉に守られるように咲きます。花言葉は「高貴・誠実」です。「以仁王の乱」は有名ですが、本人は有名ではなく、悔しいでしょう・・・京都府木津川市にある高倉神社には以仁王が祀られています。

習字は、「君子蘭」はスッキリと、「歴史が語る」は強く、「それは麿」は弱く、というつもりで書きました。


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