川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

豆を撒く 201 白河天皇

 朝、一人で海沿いを走って来ました。向かい風がすごく強くて、どこで戻ろうかと思いながら、結構遠くまで行くことが出来ました。帰ってから、さっぱりと髪を切ったら風邪を引きそうです。

「日本史1200人」201 白河天皇(1053〜1129)

72代天皇後三条天皇の子。父の遺志を継ぐと共に、実子である堀河天皇を助け院政を開始した。堀河天皇崩御後は、自らの孫である第74代鳥羽天皇、更に曾孫の第75代崇徳天皇と3代にわたって幼主を擁し、43年間にわたり院政を敷いた。天皇の王権を超越した政治権力を、後世「治天の君」と呼ぶようになる。熱心な仏教信者でもあり、後に出家して法皇となった。白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話があり、この三つ以外のものであれば何でも思い通りになるほど権力は絶大なものだったされる。なお「山法師」は延暦寺であり、その横暴に対して白河法皇も打つ手がなかったとされる。

「坊さんが天天天と豆を撒く 白河天皇 に 端遊」

豆撒きが2月の季語です。法皇が優しい堀河・強い鳥羽・悲しい崇徳の各天皇をパラッと撒きました・・・白河天皇中宮・賢子は非常に睦まじかったのですが、賢子の死後は側近の多数の女官・女房らと関係を持ちました。晩年は祇園女御など下級貴族の生まれでも公然と寵愛しました。奔放な女性関係と併せて男色も大いに好みました。

習字は、「坊さんが」は楽しく、「天天天と」は優しい・強い・悲しい「天」をリズミカルに、「豆を撒く」はサラリと、というつもりで書きました。


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