川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

迎春花 202 堀河天皇

 朝、一人で海沿いを走って来ました。昨日、強い向かい風の中を走り、足が疲れていたのでゆっくり走りました。

「日本史1200人」202 堀河天皇(1079〜1107)

73代天皇白河天皇の子。わずか8歳で即位したが、「末代の賢王」と評され、関白師通との提携により朝政にも熱心に取り組み「天が下治まりて、民安く世のどかなり」といわれた。しかし白河院の政務への関与が強まると、天皇の興味は趣味の世界に移っていき、音楽、特に管弦を愛好し、夜の御殿の壁に笛の譜を貼って覚えるほどの熱の入れようであった。また和歌にも優れ、歌人たちに恋の歌を詠ませた「堀河院艶書合」を主宰したり、当時評判の歌人14名に100首の和歌を詠ませた「堀河百首」を編んでいる。しかし、生来病弱で在位のまま宝算29で崩御した。

「笛吹いて憂き世忘れて迎春花 堀河天皇 に 端遊」

迎春花が2月の季語です。浅い春に咲く黄梅のことです。花言葉「控えめな美」が堀河天皇にピッタリかな・・・叔母で19歳年長である中宮・篤子との間には子が誕生せず、父・白河院の差配で院の従妹に当たる藤原苡子を女御とし、皇子(鳥羽天皇)が生まれました。苡子はまもなく死去したため、皇子は白河院に引き取られてその下で養育されました。

習字は、「笛吹いて」はサラリと、「憂き世忘れて」は大胆に、「迎春花」は優しく、というつもりで書きました。


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