川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春 203 鳥羽法皇

 朝、一人で海沿いを走って来ました。帰ったら、嫁さんは小学校に習字指導に行っていました。家に一人でいると、コロナやウクライナやオリンピックが嘘のように静かです。

「日本史1200人」203 鳥羽法皇(1103〜1156)

74代天皇堀河天皇の子。5歳で即位し、白河法皇の養女である藤原璋子が入内して中宮となり5男2女を儲けた。1123年に第一皇子・崇徳天皇に譲位したが、その後も実権は白河法皇が握り続けた。白河法皇崩御後の1129年より院政を敷き、3代28年にわたり実権を握った。前関白・藤原忠実の娘・泰子を入内させ異例の皇后とした。さらに白河法皇の後ろ盾を失った待賢門院(藤原)璋子にかわり藤原得子を寵愛し、23歳であった崇徳天皇を譲位させ、得子が生んだ子を近衛天皇として3歳で即位させた。近衛天皇が早世すると、崇徳天皇の同母弟を後白河天皇として即位させ、これが保元の乱が勃発する原因となった。

「我が春じゃ嫁と天皇ピッカピカ 鳥羽法皇 に 端遊」

春が2月の季語です。白河法皇崩御の時を句にしました。「入れ替えじゃ」はまともすぎるので「ピッカピカ」にしました。父・堀河天皇と並ぶ笛の名人として知られました。また催馬楽(サイバラ;古代歌謡)や朗詠にも優れ、白河法皇の60歳の御賀の際には自ら催馬楽を披露しています。

習字は、「我が春じゃ」は少し威張り、「嫁と天皇」は拙く、「ピッカピカ」ははしゃいで、というつもりで書きました。


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