川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

末黒葦 207 藤原忠通

 朝、約2ヶ月ぶりに隣町に行き、二人でいつものコースを走り楽しくおしゃべりして来ました。家を出る時は未だ暗いのですが、もうすぐ明るくなりそうです。

「日本史1200人」207 藤原忠通(1097〜1164)

1107年に元服白河法皇の猶子となり、法皇の養女・藤原璋子との縁談が持ち上がるが、璋子の素行に噂があったこともあり破談となる。1121年、25歳にして鳥羽天皇の関白に就任し、その後も崇徳・近衛・後白河の3代に渡って摂政・関白を務める。忠通が氏長者となった時は既に摂関政治は形骸化していた。さらに父や弟との対立を抱えるなど悪い状況の中でも対抗勢力である鳥羽法皇平氏等の対抗勢力と巧みに結びつき、保元の乱に続く平治の乱でも生き延び、彼の直系子孫のみが五摂家として原則的に明治維新まで摂政・関白職を独占する事となった。悪辣な陰謀家とする説があるが異論もある。

「乱ゾ乱そっと巧みに末黒葦 藤原忠通 に 端遊」

末黒葦(スグロアシ)が2月の季語です。野焼きの後に新芽をのぞかせている葦です。葦は地中に根茎を伸ばし大群落を作ります。まさに、そっと権力を拡大した忠通です。1162年に出家して円観と号しました。晩年身近に仕えていた女房の五条を寵愛しましたが、五条が兄弟の源経光と密通し、これを目撃した忠通は精神的な衝撃もあり、まもなく薨去したといいます。

習字は、「乱ゾ乱」は大胆に強く、「そっと巧みに」は控えめに、「末黒葦」はスッキリと、というつもりで書きました。


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