川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

麦踏み 214 源頼家

 朝、天気予報は曇りですが雨が降っていたのでバイクを漕ぎました。それから、下着が無くなってきたので洗濯をしました。風で乾かないかな・・・時々雨の予報ですが、

「日本史1200人」214 源頼家(1182〜1204)

源頼朝36歳の時にできた長男。「生まれながらの鎌倉殿」と呼ばれた。若くして武芸の達人として名を馳せており、頼朝の急死後は18歳で鎌倉幕府2代将軍となった。しかし北条氏らによる13人の合議制がしかれると、これに反発して独断専行で将軍権力の強化を図ったりした。この結果、旧来の御家人たちの信頼を失い、息子・頼家よりも幕府体制確立を優先させようとする、母・北条政子の判断もあり、頼家は政治の舞台から降ろされることになった。頼家が病気になると、その間に外戚比企能員一族が、北条時政によって謀殺された。病状回復後に事情を知って激怒した頼家自身も伊豆国修善寺に幽閉され、北条氏の刺客により暗殺された。

「麦踏みを母は悔いますお坊ちゃま 源頼家 に 端遊」

麦踏みが2月の季語です。麦を踏んできちんと育つようにすることです。これをしなかった頼家です・・・鎌倉の鶴岡八幡宮の参道「段葛」は、頼家の出産前に、安産祈祷の参道整備のため、頼朝自らが監督を務めて造りました。待望の男子誕生に、頼朝・政子をはじめとして一族は狂喜したといいます。

習字は、「麦踏みを」は大胆に強く、「母は悔います」はスッキリと、「お坊ちゃま」は幼く、というつもりで書きました。


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