川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

厄詣り 215 源実朝

 朝、久しぶりに海沿いを走って来ました。帰ってシャワーを浴びて体重を測ったら53.4kgと、先週より0.4kg減っていました。

「日本史1200人」215 源実朝(1192〜1219)

父は源頼朝。兄・頼家が追放された後、12歳で鎌倉幕府3代将軍となった。1218年、武士として初めて右大臣に任命された。名付け親であり、憧憬の念を抱き王としての範としていた、後鳥羽上皇から装束や車などを贈られるが、翌年の鶴岡八幡宮拝賀の日、頼家暗殺が実朝の差し金と信じた公暁(頼家の次男・実朝の養子)に襲われて落命した。実朝には子が無かったため、彼の死によって源氏将軍および源頼信から続く河内源氏直系棟梁の血筋は断絶した。和歌に秀で「金槐和歌集」を残している。小倉百人一首にも選ばれ、勅撰和歌集には全部で92首が入集されている。

「厄詣り拝賀の前ゾ父祖の声 源実朝 に 端遊」

厄詣りが2月の季語です。一年の難を逃れるためのお詣りです。父の頼朝はじめ源氏棟梁が天から叫んでいます・・・実朝は前世の居所と信じる宋の医王山を拝す為に渡宋を思い立ち、唐船の建造を命じました。1217年、完成した唐船を由比ヶ浜から海に曳かせましたが、船は浮かばずそのまま砂浜に朽ちました。

習字は、「厄詣り」は強く、「拝賀の前ゾ」は大胆に、「父祖の声」は悲しく、というつもりで書きました。


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