川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

挿木 228 北条時頼

 朝、隣町に行き、二人でいつものコースを楽しく走り、おしゃべりして来ました。帰りがけに足のスネをチョッとすってしまいました。チョットの傷ですが、シャワーでの洗い始めはビックリするほど痛かったです。

「日本史1200人」228 北条時頼(1227〜1263)

北条泰時の孫、5代執権。若くして実父時氏と死別したため、祖父・北条泰時に養育される。1247年の宝治合戦で安達市と三浦一族を滅ぼして、北条氏を脅かす御家人を排除して権力強化を図り、1252年には第5代将軍藤原頼嗣を京都に追放して、新たな将軍として後嵯峨天皇の皇子である宗尊親王を擁立した。これが、親王将軍の始まりである。さらに時頼は、その独裁色が御家人の不満を誘発しないように、訴訟や政治の公正・迅速化を図ったり、庶民に対しても救済政策を採っている。家柄が低く、血統だけでは自らの権力の正統性を欠く北条氏は、撫民・善政を強調し標榜することで、支配の正統性を得ようとした。

「挿木してお家繁盛独裁じゃ 北条時頼 に 端遊」

挿木が3月の季語です。親木から切り分けた枝を直接土に挿して根付かせます。家柄に関係ない、直系だけが残るという感じですね・・・1256年、時頼は引退・出家しましたが政治の実権を握り、その後の北条氏における得宗専制政治の先駆けとなりました。私的な得宗への権力集中が行なわれて執権・連署は形骸化しました。時頼は南宋の僧侶・蘭渓道隆を鎌倉に招いて建長寺を建立し、その後に道元を鎌倉に招いています。

習字は、「挿木して」はスッキリと、「お家繁盛」はゆったりと、「独裁じゃ」は強く、というつもりで書きました。


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