川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

菫 229 北条長時

 朝、宮城の兄から「無事です 元気です」とのメールが入っていました。僕は「雪が溶けて、無事冬を越したんだなァ〜」と思いました。で、海沿いを走って帰って来ると、嫁さんから「震度6の地震があったようだ」 と聞かされ、ビックリして調べたら実家は6弱で、兄のメールはこれを伝えて来たんだと思いました。

「日本史1200人」229 北条長時(1230〜1264)

北条重時の子、6代執権。事実上の権限を時頼が握る中、中継ぎ役の執権となる。長時は執権としての実権は無かったが、忠実に事務処理を遂行しており権力欲が乏しく、将来の時宗の権力継承に関して障害にならない温和な人物だったという。1261年には、幕府を批判した日蓮伊豆国への流罪に処している。1264年、病により執権職を辞任して出家し、同年に浄光明寺にて35歳で死去する。同寺には長時の木像と位牌が今も現存している。勅撰集に12首の歌が採録されている。

「目立たずに木像今も菫咲く 北条長時 に 端遊」

菫(スミレ)が3月の季語です。花言葉「謙虚・誠実」を長時に掛けました。こんな人の木像が残るのはいいな・・・長時の家系の家格の高さは北条氏の中でも得宗に次ぐものであった。最後の執権・赤橋守時足利尊氏正室赤橋登子は曾孫にあたる。

習字は、「目立たずに」は控えめに、「木像今も」はスッキリと、「菫咲く」は柔らかく、というつもりで書きました。


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