川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

彼岸 233 北条師時

 朝、隣町に行き体操をして走ろうとしたら、雨が降ってきたので、おしゃべりだけして帰ってきました。体が冷えたのでシャワーを浴びてホッとしました。

「日本史1200人」233 北条師時(1275〜1311)

10代執権。19歳の若さで評定衆となり、同年に従五位上と、鎌倉政権の中枢に抜擢される。従兄弟である執権・北条貞時平頼綱を永仁の鎌倉大地震に乗じて誅殺して実権を取り戻した直後である。兄弟の居ない貞時が、自分にとって一番近い血縁である師時や、もう一人の従兄弟である北条宗方を政権の中枢に引き上げることによって、周りを固めようとしたとも見られている。1301年、貞時の出家に伴い執権に就任するも、貞時より1ヶ月早く病死する。評定中にその座でそのまま死去したと伝わる。

「安泰じゃ皆で渡れ ば!彼岸かな? 北条師時 に 端遊」

彼岸が3月の季語です。本来は春の彼岸ですが「あの世」として使いました。北条家で固めた会議中に死んだとイメージしました。師時は貞時の女婿です。この師時の執権就任は、貞時の子・高時が成人するまでの間の中継相続的な性格のものでした。

習字は、「安泰じゃ」は強く、「皆で渡れ ば!」は楽しく、「彼岸かな?」はあの世のように、というつもりで書きました。


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