川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

干鱈 234 北条高時

昨日で嫁さんの小学校習字指導の全てが終わりました。今日の 朝は、久しぶりに一人で海沿いを走って来ました。

「日本史1200人」234 北条高時(1303〜1333)

北条貞時の子。父と同じ14歳で14代執権となる。在任中には、諸国での悪党の活動や奥州で蝦夷の反乱などが起きる。1324年、後醍醐天皇が幕府転覆を計画した正中の変は未然に防いだものの、1326年には病のため24歳で執権職を辞して出家する。1331年、後醍醐天皇が再び倒幕を企てて、楠木正成が挙兵する元弘の乱では軍を派遣して鎮圧させ後醍醐天皇隠岐島へ配流した。さらに1333年、後醍醐天皇隠岐を脱出して挙兵すると、幕府は北条一族・名越高家御家人筆頭・足利高氏(尊氏)を派遣するが、高家は討たれ、高氏は後醍醐天皇方に寝返る。そして関東で新田義貞が挙兵し鎌倉へ侵攻すると、高時は北条家菩提寺東勝寺へ退き、寺に火を放ち北条一族や家臣らとともに自刃して果てた。

「後醍醐め!干して炙って干鱈だぞ 北条高時 に 端遊」

干鱈(ヒダラ)が3月の季語です。軽く炙って酒の肴にしたりします。3度も討幕を策した後醍醐天皇は干鱈にしても足りないかな・・・高時は、既に亡き日蓮の孫弟子の日印と諸宗との問答対決の命を下し、3回にわたり、いわゆる鎌倉殿中問答を行わせました。結果、日印が諸宗を論破したので布教を許しました。

習字は、「後醍醐め!」はスッキリと、「干して炙って」はくどく、「干鱈だぞ」は干されたように、というつもりで書きました。


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