川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

義士祭 245 平頼綱

 朝、一人で海沿いを走って来ました。帰ってシャワーを浴びて体重を測ったら53.2kgと先週より0.4kg減っていました。嫁さんは小学校の入学式に招待されて行きました。

「日本史1200人」245 平頼綱(?〜1293)

内管領(北条氏・宗家の執事)。9代執権・北条貞時に讒言して、霜月騒動で安達氏を滅ぼす。しかしその後の独裁的な恐怖政治に不安を抱いた貞時の命によって誅殺された(平禅門の乱)。室町時代に禅僧の義堂周信が、地元の僧から聞いた話では「昔、平左衛門頼綱は数え切れないほどの虐殺を行った。ここには彼の邸があり、彼が殺されると建物は地中に沈んでいった。人々はみな、生きながら地獄に落ちていったのだと語り合い、それ故に今に至るまで平左衛門地獄と呼んでいる」と、頼綱の死後80年以上経っても、その記憶が伝えられていた。

「地獄では執事の丸焼き義士祭 平頼綱 に 端遊」

義士祭が4月の季語です。本来は赤穂義士の祭りですが、ここでは244の安達泰盛一族の祭りとしました。執事は羊のように優しかったら・・・後深草院二条が記した「とはずがたり」によると、「将軍御所の粗末さに比べ頼綱の宿所は、室内に金銀をちりばめ、人々は綾や錦を身にまとって目にまばゆいほどであった」といいます。

習字は、「地獄では」はチョット楽しそうに、「執事の丸焼き」は大胆に、「義士祭」はスッキリと、というつもりで書きました。


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