川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

花万朶 254 竹御所

 朝、一人で海沿いを走って来ました。ゆっくり走ることに少し慣れてきました。嫁さんは小学校に読み聞かせに行きました。今年度初めてですがウクライナの民話を持って行きました。

「日本史1200人」254 竹御所(1202〜1234)

源頼家の子、4代将軍・藤原頼経の妻。他の頼家の子が幕府の政争の中で次々に非業の死を遂げていく中で、祖母・政子の庇護のもと巻き込まれることを免れ、政子の死後にその実質的な後継者となる。唯一、源頼朝の血筋を引く生き残りであり、幕府の権威の象徴として御家人の尊敬を集め、彼らをまとめる役目を果たした。29歳で13歳の頼経に嫁ぎ、その4年後に懐妊したが、難産の末に男児を死産し、本人も死去した。これにより頼朝の直系子孫は死に絶え、源氏将軍の血筋は断絶した。

「花万朶明年の今夢に見る 竹御所 に 端遊」

花万朶が4月の季語です。満開の桜で枝がたわわになっている様子です。竹御所が難産の末に亡くなったのは8月です。「来年の今」だと現代すぎるので「明年」としました。藤原定家の日記「明月記」によると、竹御所の訃報がもたらされた鎌倉武士たちは激しく動揺し、京都にあった御家人はこぞって鎌倉に下ったといいます。定家はこのことに対し「平家の遺児らをことごとく葬ったことに対する報いであろう」と述べています。

習字は、「花万朶」はたっぷりと、「明年の今」は儚げに、「夢に見る」は切なく、というつもりで書きました。


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