川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

二人静 255 後堀河天皇

 朝、一人で海沿いを走って来ました。シャワーを浴びて体重を測ったら53.4kgと先週より0.5kg減っていました。

「日本史1200人」255 後堀河天皇(1212〜1234)

86代天皇高倉天皇の孫。承久の乱の後、幕府による後鳥羽天皇の血統排除により10歳で即位する。父・後高倉院による院政の中で過ごしたが、元来病弱であり、わずか23歳で崩御した。その崩御中宮・竴子の死から間もない時期だったため、かつて天皇から天台座主の地位を約束されたものの反故にされた僧正・仁慶の怨霊の祟りや、後鳥羽上皇の生霊のなせる怪異であるなどと噂されたといわれる。

「祟りでも二人静かに手をつなぎ 後堀河天皇 に 端遊」

二人静が4月の季語です。日陰を好んで咲きます。似たような一人静もあります。中宮・竴子との仲は良かったとのことです。茂仁王(後堀河天皇)は後鳥羽上皇の兄の三男です。また、茂仁の母の父は源頼朝の妹婿の叔父で、母は平頼盛の娘(平治の乱の際に源頼朝の命を救った池禅尼の孫にあたる)であり、鎌倉幕府にとって茂仁は望ましい存在であったようです。

習字は、「祟りでも」は大胆に、「二人静かに」はスッキリと、「手をつなぎ」は明るく、というつもりで書きました。


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