川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

ひじき 257 法然

 昨夜は、与那国出身の女性が監督をした映画「ばちらぬん(忘れない)」を見て来ました。チョッと難解な映画でしたが、これからを期待したいと思いました。今日の朝は、一人で海沿いを走って来ました。今年初めての水シャワーを浴びました。

「日本史1200人」257 法然(1133〜1212)

美作国(岡山県)出身。9歳の時、土地争論から父・漆間時国が殺害されたが、父の遺言により仇討ちを放棄して仏門に入った。比叡山で天台教学学び、下山後は「南無阿弥陀仏」を唱えれば誰でも極楽浄土に往生できるという専修念仏を説いた。この浄土宗は地方武士や庶民、貴族にも広まり九条兼実らが帰依した。そして、急激に信徒が増大したため旧仏教側から排撃を受けた。1205年、後鳥羽上皇の留守中に院の女房たちが、法然門下の僧によって出家したとして怒りを買い、法然親鸞を含む主な弟子が流罪となった。配流先でも布教をし、赦免され京に戻った翌年没した。

「南無阿弥と唱えて流罪ひじき刈る 法然 に 端遊」

ひじきが4月の季語です。浅瀬の岩に密集して生え、乾燥して食用にします。法然讃岐国に配流されています。法然は死の直前に「一枚起請分」という遺言を記しました。専修念仏の教えに様々な解釈が生じ、トラブルを引き起こさないようにとの意味からです。学問も智者の振舞も必要なく、ただ「南無阿弥陀仏」を唱えるべしと明記されています。

習字は、「南無阿弥と」はスッキリと、「唱えて流罪」は無念に、「ひじき刈る」はサラリと、というつもりで書きました。


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