川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

卯の花腐(クタ)し 261 栄西

このところ寒い日が続いています。ゴールデンウィーク中は観光客で明るく賑わうのですが、今年はちょっと違う感じです。今日の朝も雨が降っていたのでバイクを漕ぎました。

「日本史1200人」261 栄西(1141〜1215)

禅宗を日本に初めて伝えた臨済宗の開祖。14歳で出家し比叡山天台宗を学んだが1168年、堕落した天台宗を立て直すべく、平家の庇護を得て南宋に留学した。そして「天台章疎」60巻を持って帰国したが、南宋では禅宗が繁栄しており、日本仏教の精神の立て直しに禅を用いることを決意した。1187年に再び入宋し、臨済宗印可(悟りを得た証明)を受け、帰国後は既存仏教との調和を図りながら布教に努めた。禅宗は座禅によって鍛錬し、公案と呼ばれる問題を禅問答で考え抜いていくものであるが、その精神修養性が武家社会に受け入れられ、北条政子の帰依を受け寿福寺の住職となる。その後、源頼家の加護で京に建仁寺を建立した。

公案卯の花腐(クタ)し答えは無 栄西 に 端遊」

卯の花腐(クタ)しが5月の季語です。卯の花を腐れさせるような長雨のことです。5月の歳時記の中で?の季語でした。で、僕が最初に見た公案の答えが「無」でした。卯の花腐しは人の想いで、卯の花も雨も無では、などと呆けました・・・栄西は、宋から茶の種を持ち帰り、栽培を奨励したことでも知られています。茶に関する著書「喫茶養生記」があります。

習字は、「公案は」は大げさに、「卯の花腐し」はサラリと、「答えは無」はカクッと、というつもりで書きました。


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