川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

繭を煮る 264 虎関師錬

昨夜は足が攣り、歯茎が傷んだせいもあり眠れませんでした。で、朝は1時間半くらい遅く起きて、英語や体操をしてから、一人で海沿いを走って来ました。足の攣りには体操を一つ増やしました。また、歯茎にはたっぷり薬を塗りました。

「日本史1200人」264 虎関師錬(1278〜1346)

8歳で臨済宗・東山湛照に師事して参禅し、同年比叡山にて受戒する。師を失った後は南禅寺円覚寺で修行したが、この間「文選(中国南北朝時代の詩文集 全30巻)」や易学を学ぶなど研鑚に努め該博な知識を得た。その後、円覚寺建長寺の会下に入る一方、仁和寺醍醐寺密教を学んでいる。1307年に鎌倉・建長寺の渡来僧・一山一寧を訪れた時、本朝の名僧の事績について尋ねられ、満足に応えられなかったことをきっかけとして、体系的な日本仏教史「元亨釈書(全30巻)」をまとめたといわれる。仏教伝来以来、鎌倉後期までの700年に及ぶ内容である。

「僧は縦教えは横に繭を煮る 虎関師錬 に 端遊」

繭を煮るが5月の季語です。糸を取るために繭を煮ます。仏教史を織るための準備という意味で使いました。師錬は1338年に東福寺住持を退いて、南禅寺住持となりましたが2年後に辞して東福寺海蔵院に退き、海蔵和尚とも呼ばれました。後、後村上天皇から国師号を賜っています。

習字は、「僧は縦教えは横に」は隷書風を混じえて、「繭を煮る」は大胆に、というつもりで書きました。


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