川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

踊花(オドリバナ) 266 明恵

 日曜日は、バッハ・モーツアルトベートーヴェンの聴きたい曲をダウンロードしたりして過ごしました。全く凡人好みです。今日の朝は雨が降りそうだったのでバイクを漕ぎました。

「日本史1200人」266 明恵(1173〜1232)

9歳にして両親を失い、翌年、高雄山神護寺に入り、16歳で出家した。23歳で俗縁を絶って紀伊国・白上に遁世し修行をかさねた。遁世僧となった明恵は、後鳥羽上皇から下賜された地に高山寺を開山し、華厳と密教との統一をはかり華厳密教を打ち立てた。その教えは俗人が理解しやすいようさまざまに工夫されたものであった。明恵は、学問よりも実際の修行を重視し、厳しく戒律を護り、きわめて謹厳であった。その人柄は、無欲無私にして清廉、なおかつ権力を怖れるところがいささかもなかった。明恵は和歌にも長け「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月」などが知られる。

「戒律が目口手足か踊花(オドリバナ) 明恵 に 端遊」

踊花(オドリバナ)が5月の季語です。踊子草のことです。花の形が笠をかぶって踊っている人のようです。自然の(戒律に合う)姿が踊りなので、史上最も戒律を守った人とも評価される明恵に掛けました。白上での修行の頃には、少しでも如来に近づこうと、右耳の外耳を剃刀で自ら切り落としました。また釈迦への思慕の念から2度ほどインドへ渡ろうとしましたが、病気などのため断念しています。

習字は、「戒律が」はスッキリと、「目口手足か」はだんだん大きく、「踊花」はサラリと、というつもりで書きました。


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