川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

麦の秋 277 湛慶

 昨日からハーリーの練習が始まりました。今年は漁師が主体で、一般参加のハーリーはなくなりました。3年ぶりに漕手の声が港内に響いてきます。朝は、一人で海沿いを走って来ました。

「日本史1200人」277 湛慶(1173〜1256)

仏師、運慶の長男。運慶・快慶後の慶派棟梁として作風を受け継ぎ、調和の取れた様式をつくりあげた。後に死の直前まで奈良から離れたが、雪蹊寺の善膩師童子像や高山寺狛犬・仔犬には無垢な愛らしさを表し、万物への慈しみと言う宗教的境地が感じられる。これは高山寺明恵との交流の中で触発されたものと考えられる。さらに代表作でもある京都・妙法院蓮華王院・本尊の千手観音坐像は、湛慶最晩年の82歳で完成した。東大寺講堂の本尊造立途中で没している。

「観音を瞼の裏に麦の秋 湛慶 に 端遊」

麦の秋が5月の季語です。初夏の頃には麦畑一面が黄金色になります。東大寺講堂の本尊は千手観音で、湛慶は旧暦5月に亡くなっています。三十三間堂の本尊の左右に林立する千体(正確には1,001体)千手観音立像中にも湛慶作の銘をもつものが数体あります。ここでは、復興事業ということから慶派特有の強さは抑制し、静かな洗練された平安後期彫刻の再現を目指したようです。

習字は、「観音を」は優しく、「瞼の裏に」は控えめに、「麦の秋」はスッキリと、というつもりで書きました。


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