川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

老鶯 285 阿仏尼

 朝、一人で海沿いを走って来ました。帰ってシャワーを浴びて体重を測ったら53.3kgと先週より0.3kg減っていました。

「日本史1200人」285 阿仏尼(?〜1283)

女流歌人。安嘉門院に仕え、出仕中10代で失恋の失意から出家し尼となったが、その後も世俗との関わりを持ち続けた。30歳頃に藤原定家の子の為家の側室となり、冷泉為相らを産む。為家の没後に相続をめぐり、正妻の子・二条為氏が遺言に従わないため訴訟を決心し、60歳近くという非常な高齢にもかかわらず、幕府に訴えるため鎌倉へ下った。このときの紀行と鎌倉滞在のことを記したのが「十六夜(イザヨイ)日記」である。12月16日に京都を出発したのが書名の由来である。阿仏尼は道中各地で風物・名所・旧跡や感慨を日記に書く一方で、頻繁に和歌を詠み、鎌倉到着後も現地の人々と和歌の贈答を行った。

「老鶯の訴訟の旅やはらほろと 阿仏尼 に 端遊」

老鶯が6月の季語です。夏の鶯を老鶯・乱鶯・残鶯などといいます。決死の旅でも歌を詠むなんて素敵です。「はらほろ」は「はらほろひれはれ」から取りましたが、「はらりほろり」の派生ともいわれています。・・・阿仏尼は鎌倉に到着しましたが、所領紛争の解決を見ることなく亡くなりました。なお、訴訟は阿仏尼側の勝訴となりました。

習字は、「老鶯の」はサラリと、「訴訟の旅や」は少し強く、「はらほろと」はフワリと、というつもりで書きました。


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