川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

五月(サツキ)闇 291 後醍醐天皇

 朝、一人で海沿いを走って来ました。それからタオルケットや敷布やパジャマ、そしてランシューも洗いました。

「日本史1200人」291 後醍醐天皇(1288〜1339)

96代天皇後宇多天皇の第2皇子。天皇の権限を復活しようと、正中の変・元弘の変に続く3度目の挙兵を行い、楠木正成赤松則村らの活躍、足利尊氏の寝返り、新田義貞の鎌倉攻略により鎌倉幕府を滅ぼした。天皇中心の「建武の新政」を始め、土地の所有権が天皇にある旨の法令を出したりしたが急な改革には無理があり、頓珍漢な政策を繰り返して武士を冷遇したため多くは離反した。そのような折、鎌倉奪還を図り北条時行中先代の乱を起こした。これを鎮めた足利尊氏がさらに京を制圧し光明天皇を立てる(北朝)と、後醍醐天皇は吉野の山中に逃れ「南朝」を開いたが、3年後に病没した。

「新政は頓珍漢の五月(サツキ)闇 後醍醐天皇 に 端遊」

五月闇が6月の季語です。梅雨時の夜空は重く雨雲が覆い、「あやめも分からぬほどの闇」などといわれます・・・後醍醐天皇は、10世紀前半に醍醐・村上両天皇が行った「延喜・天暦の治」を理想としました。通常、天皇諡号は死後に贈られますが、醍醐天皇にあやかって生前に自ら後醍醐と号していました。

習字は、「新政は」はスッキリと、「頓珍漢の」は大胆に幼く、「五月闇」は暗く、というつもりで書きました。


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