川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

黄金虫 316 日野富子

 土曜日・日曜日は家でのんびりしました。今日の朝は善福寺川に沿って走って来ました。耳鳴りが止むと、バランス感覚が良くなり、足がスイスイと動く感じがしました。

「日本史1200人」316 日野富子(1440〜1496)

第8代将軍・足利義政正室。息子の義尚を将軍にしようと山名宗全を後見につけた。応仁の乱の最中、大名に高利で金を貸しつけ、米の投機も行うなどして、莫大な資産を築き、政治を乱した。山名氏の没後は、自ら9歳の将軍・義尚の後見になった。やがて富子が実質的な幕府の指導者となると、進物を届ける人々の行列は1〜2町にも達した。義尚は成長すると富子のもとを去った。その後も義政の弟・義視やその子の義稙と、後継者争いを死ぬ間際まで続けた。

「光るならアレもコレもと黄金虫 日野富子 に 端遊」

黄金虫が7月の季語です。夏の夜に、灯を求めて唸りながら飛ぶ金緑や赤銅の甲虫です。光るものというと、お金や権力を連想させます。「黄金虫は金持ちだ」も含めて富子に掛けました・・・夫婦喧嘩により別居した時には、居住地を取って「東山殿」と呼ばれるようになった夫に代わって、「室町殿」と呼称された記録もあるそうです。

習字は、「光るなら」はクセを付け、「アレもコレもと」はくどく、「黄金虫」はサラリと、というつもりで書きました。


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