川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

玉の汗 318 足利義教

 昨日、与那国に帰って来ました。島に18年住んで、初めて1ヶ月を内地で過ごしました。家はムッとしてかび臭く、窓を開けて掃除からスタートしました。一段落してシュウマイ弁当を食べながら水割りを飲んだら、たちまちユッタリ気分になりました。今日の朝は一人で海沿いをスロージョギングし、島の景色を堪能しました。

「日本史1200人」318 足利義教(1394〜1441)

室町幕府第6代将軍。5代将軍・義量は夭逝し、父・義持が後継を決めなかったので、籤引きで将軍に選ばれた。このことから「籤引き将軍」とも呼ばれた。天台座主から還俗して将軍となった。幕府の権威高揚に努めたが、弾圧政治のため赤松満祐に殺された。当時の記録には「万人恐怖、言フ莫レ、言フ莫レ」とある。説教しようとした日蓮宗の僧日親は、灼熱の鍋を頭からかぶせられ、二度と喋ることができないように舌を切られた。

「籤引きや言わ猿の群れ玉の汗 足利義教 に 端遊」

玉の汗が7月の季語です。万人は何も言えなくて、玉の汗ばかりかいていたかな・・・赤松満祐の子の教康が義教の「御成」を招請した。当時、祝宴の御成は重要な儀式で、義教は側近を伴って出かけた。猿楽を観賞していた時、突如屋敷に馬が放たれ門が一斉に閉じられ、その直後に義教の首がはねられた。

習字は、「籤引きや」はクセを付け、「言わ猿の群れ」は幼く、「玉の汗」は大胆に、というつもりで書きました。


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