川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

みつ豆 324 細川頼之

 朝、一人で海沿いを走って来ました。島は四人に一人がコロナ感染者になるのでは、と思うくらい増えています。

「日本史1200人」324 細川頼之(1329〜1392)

足利尊氏・義詮のもとで功をあげ四国を領有した守護大名細川氏嫡流は従兄・清氏であったが、2代将軍・義詮の執事だった清氏が失脚し南朝に下り、これを討った頼之が幼少の3代将軍・義満の管領として幕政を主導、倹約令や半済令(公家や寺社の荘園を保護する)の施行や南朝との和睦などを行い、足利政権の基礎を築いた。康暦の政変で一旦は失脚するが復権した。風邪が重篤となり死去したが、葬儀は義満が主催して行われた。

みつ豆ね宥(ナダ)め賺(スカ)して白髪増え 細川頼之 に 端遊」

みつ豆が7月の季語です。広く、茹でた豆に密をかけたものとして使いました。幼少の義満とみつ豆を食べながら、ああでもないこうでもないと・・・文化的活動としては和歌や詩文、連歌など公家文化にも親しみました。勝海舟は、日本の経済を発展させた歴史上の人物として、豊臣秀吉などと共に頼之を挙げています。

習字は、「みつ豆ね」は明るく、「宥め賺して」は揺れるように、「白髪増え」は強弱を付けて、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20220728113513j:image