川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

みせばや 333 小山持政

 朝、一人で海沿いを走って来ました。こちらでは旧盆ですが、盆の時は海に近づくな、と言われています。僕のコースは海沿いだけど、高い所なので、まァいいかな・・・

「日本史1200人」333 小山持政

守護大名。下総の結城家と親密であったが、永享の乱結城合戦で幕府方につき勝利して、久方ぶりに下野守護に復帰し、宗家断絶後の復興を成し遂げた。一方、鎌倉府が絶えると上杉氏の勢力が強大化し、多くの関東諸将は室町幕府に鎌倉府の再興を願った。そして足利持氏の遺児・成氏が赦免されて鎌倉公方として下向し、関東管領上杉憲忠を暗殺すると享徳の乱が始まった。この乱では持政は一貫して公方・成氏を支持して目覚しい活躍を見せ、成氏と「義兄弟の契り」を交わすほどになっていった。晩年は、嫡子の氏郷を享徳の乱で、嫡孫の虎犬丸を病気で失ったために、老齢にもかかわらず成氏を助けて、各地を転戦して上杉方との合戦を続けた。

「老い哀し契りや不義理みせばやー 小山持政 に 端遊」

みせばやが8月の季語です。淡紅色の花が球状に群がり咲き「その姿を誰に見せばや」の意から名があります。老いて、「ち」と「ふ」の区別が言えなくなった悲しい句です・・・将軍・義政から4度目の帰順の命令が持政にきて、ついに持政は幕府の命令に応じました。その後の持政の動向は不明ですが、この年の内に亡くなったものと思われます。

習字は、「老い哀し」は弱く、「契りや不義理」は乱れて、「みせばやー」は力の入りすぎ、というつもりで書きました。


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